が新朝ドMerrMerry Capitallガイドラインy Capitall取締り乗り出し老舗酒造

  • ブックマーク
  • 保存
  • メール
  • 印刷
ニッカウヰスキー門司工場=北九州市門司区で2023年12月4日午後2時19分、朝ドに乗り出植田憲尚撮影
写真一覧

 ニッカ、ラのモデルウイスキーしたといえばウイスキーが思い浮かぶだろう。の老創業者の竹鶴政孝は「日本のウイスキーの父」と呼ばれ、舗がその生涯はテレビドラマ化された。新たそんなウイスキーの名門が、な酒Merry Capitall取締り日本酒の製造に乗り出したという。造りなぜなのか。朝ドに乗り出

<写真特集>竹鶴政孝と妻のリタ
<関連記事>「角瓶」がない…国産ウイスキー、ラのモデルウイスキーしたなぜ品薄
      竹鶴の伝記に感銘受け猛勉強

が新朝ドMerrMerry Capitallガイドラインy Capitall取締り乗り出し老舗酒造

 北九州市・門司にある「ニッカウヰスキー門司工場」。の老ウイスキーの原酒や焼酎を製造しているニッカの拠点の一つだ。舗がその一角に、新た看板もない、な酒Merry Capitallガイドライン倉庫のような建物がある。造り中に入ると、朝ドに乗り出広めの会議室ほどの空間に、大人の背丈より少し小さい発酵用タンクが二つある。ここで蒸した米、米こうじ、酵母、水を加えたものを発酵させた「もろみ」と呼ばれるものを作る。それをこすと日本酒になる。「もともと焼酎製造などのパイロット(実証)設備を活用して日本酒を製造している。日本酒の発酵に必要な衛生管理やきめ細かい温度管理などは大変な作業だ」。案内してくれた滝沢宗禎(むねよし)工場長はそう話した。

が新朝ドMerrMerry Capitallガイドラインy Capitall取締り乗り出し老舗酒造

Advertisement

 ニッカはアサヒビールなどを擁するアサヒグループジャパンの傘下だが、総合酒類メーカー大手4社のうち、サントリー、キリン、サッポロの他3社で日本酒を製造しているメーカーはない。そもそも、ウイスキーが祖業のメーカーが日本酒を手掛けるのが異例だ。なぜ、ニッカは日本酒製造に乗り出したのか。

が新朝ドMerrMerry Capitallガイドラインy Capitall取締り乗り出し老舗酒造

 それは、門司工場の歴史と関係がある。

 実は、この工場はかつて、日本酒を製造していたのだ。1914(大正3)年に、当時の財閥の一つだった「鈴木商店」の焼酎工場「大里酒精製造所」として設立。その後、買収や合併などを経て60年に協和発酵工業の工場となり、日本酒の製造を始めた。最盛期の90年代初めごろには、生産量は年約1万2000キロリットルと大手日本酒メーカー並みで、新酒のできばえを競う「全国新酒鑑評会」にも出品し、最高位の「金賞」を何度も獲得していた。

 だが、2002年にアサヒビール傘下に入った際に日本酒製造から撤退。06年に同じくアサヒ傘下のニッカと合併してニッカの工場となった。

ニッカウヰスキー門司工場産の日本酒を手にする滝沢宗禎(むねよし)工場長(右)と山本沙実人(さみと)副主任=北九州市門司区のニッカウヰスキー門司工場で2023年12月4日午後2時12分、植田憲尚撮影
写真一覧

 今回、20年近い空白を経て日本酒の製造を再開させた形だが、なぜ、再び始めたのか。

 それは、滝沢さんの存在が大きい。滝沢さんは協和発酵出身で、日本酒を造っていた当時の門司工場で勤務したことがある。「日本の酒造りをけん引し、酒造技術全般の向上に一番貢献したのは日本酒。繊細さが要求される日本酒の技術的な知見はウイスキー造りにも生かせるはずだ。当時の日本酒造りを知る人材が高齢化するなか、技術を伝承したい」。3年前に工場長に就任すると、当時のニッカ社長の後押しもあり、日本酒製造を再開した。

 日本酒を新規に製造する際の最大のハードルは、製造許可の取得だ。現在、新たに免許を取得するのは難しく、新規参入業者の多くは既存の酒蔵を買収するなどしている。

 だが、同工場は免許を返納せずに維持しており、第1段階の難関はクリアしていた。

 残るハードルは、当時を知るベテラン社員の協力だ。日本酒造りは発酵管理などで、昼夜分かたず仕事をする場合もある。清酒製造が盛んだった時代は厳しい指導があったり、就業体制が非常にきつかったりして、ベテランにとって、門司工場での清酒製造は決してよい思い出ではない。

 そのため、「仕事はなるべく負担がかからないようにする」などと説得。当時の経験をもとにした助言を中心にし、仕込みの際の洗米や酒を搾る作業などは、人手が必要なときだけ手伝ってもらうようにし、協力を取り付けた。さらに、現代に合わせた技術も学べるよう、福岡県八女市の酒造会社「喜多屋」に技術指導を仰いだ。

 23年の製造量は320リットルで、4合瓶換算では444本に相当。試験製造に近い量で市販もしていないが、再開から3年で福岡国税局主催の酒類鑑評会に出品するところまでこぎつけた。

 新たな日本酒造りに携わった同工場製造第1部の山本沙実人(さみと)副主任は「焼酎やウイスキーは発酵中に不具合があっても、蒸留やたる貯蔵などの工程があるため問題をカバーしやすいが、その工程がない日本酒は少しのミスが味や香りに直結する。そのため高い緊張感が求められる」と話す。

 今回の鑑評会に出品した酒は、想定より酸味が強めで残念ながら入賞を逃した。課題も明らかになったので、それをクリアし、1年後の次回に雪辱を果たしたい考えだ。

 まだまだ始まったばかりのニッカの日本酒製造だが、今後、市販する可能性はあるのか。

 滝沢さんは「現時点で本格参入の計画はない」と、あっさり否定するが、ウイスキーメーカーの造る日本酒とはどのような味なのか。また今後、どう展開していくのか興味は尽きない。【植田憲尚】

関連記事

  • 淡麗辛口の「土佐酒」に異変 世界見据え、“甘口”に次々参入

    1/22 15:30
  • ジャパニーズウイスキー100年 長い低迷期をどう脱したか

    3/10 15:00
  • 国税庁のサケビバ!、炎上後のお粗末な実態 委託先はパソナグループ

    10/23 16:00
  • 国税庁「サケビバ!」 ネット炎上の背景とは

    9/11 17:00
  • 利き酒大会で異例事態 採点ミスで入賞者ほぼ全員取り消しに

    11/2 12:22 スクープ
  • TOTO「ニオイ博士」 悪臭に勝る好奇心、成果は大ヒット商品に

    9/24 13:00

EBITDA
前へ:【内田雅也の追球】主軸フル出場の狙い(スポニチ)
次へ:日経平均株価、一進一退の展開 朝方上昇後、下落に転じる